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天使のたまご 個別楽曲解説

カンヌ映画祭に初のアニメーション作品を出品(イノセンス)し、話題となった押井守監督により、’86年に制作された日本のオリジナルビデオアニメーション「天使のたまご」の音楽(作曲:菅野由弘)について、いくつかの曲を選んで個別の楽曲解説を試みた。

1.プレリュード

1曲目はピアノ独奏曲で、タイトルはプレリュード(前奏曲)となっているが、ビデオ本編では実際にはエンディング・テーマとして使用されており、物語を語りだすような序奏の部分も省略されている。実はコンセプトアルバムとして企画された面があるため、サウンドトラックといっても演奏も本編とは別テイクであり、特にこの曲の演奏は速度も速くかなり雰囲気が違っているが、アルバム全体に本編より録音も良く、音楽を聴くならこちらが薦められる。

アルバム全体の音楽構成から言うと、この曲は極めて重要な位置を占めている。アルバムの随所に登場する素材が、4曲目のメインテーマを除くとほとんどこの曲に集約されているからだ。裏を返すとこの曲をバラバラの要素に分解した素材があちこちで手を変え品を変え登場し、作品全体に有機的な統一感を与えている。このため構成としてアルバムの最初に置かれていることも納得がいく。

曲は大まかにいうとA-B-Aの3つの部分に分けられ、前出の序奏に続いて5/8拍子でAの部分のテーマが現れる。楽譜がないので分母に確証はないが、この部分は、(社)日本作曲家協議会が年に1回行っているコンサート「子供たちへ」で菅野が’91年に発表したピアノ曲「五つの丘に囲まれた国クイントス」と類似しているので、この楽譜と同様に考えてほぼ間違いないだろう。ベース音と和音が交互に打ち鳴らされることによる3/8+2/8拍のリズムが5拍子でありながらどこかワルツのようにも聞こえる。(5拍子なのにワルツとされる前例としては、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第2楽章が有名である。)

このテーマはアルバムの随所に登場するが、ベース音がA音とE音の交互の繰り返しで音階的にもイ短調に似ていながら、旋律部に古典理論では禁則とされた長7度や増4度などの進行(要するに変な音程)が頻出したり、和声の機能的らしい進行もない。この、ワルツのようなそうでないような、調性があるようなないような微妙な匙加減が、現代音楽のようでバロック音楽のような独特の感覚を醸し出すのだろうか。

中間のBの部分では、上声部の4つの和音+ベースの長7度の和音による音形(I)とこれに続く8分音符によるAよりも無機的な音形(II)「波の断片」が交互に奏される。(I)の音形は、8曲目の「魚狩り」で合唱と打楽器、低音弦に現れる。(II)の音形はそのままでの形ではないが、似たパターンがやはりアルバムの随所に登場する。この曲では繰り返しの度に15、15、10、10、5、5、25と音符の数が変化していき、アルバムの方ではaccelerandoしていく。

その後、もとのテンポで再びAの部分が繰り返されて曲を閉じる。

2.卵のみる夢

天へ向かって伸びた植物の先端に巨大な卵が掲げられ、その中で鳥の胎児が眠り続けているシーンに付けられた音楽。弦楽器群の混沌とした音響に女声合唱とハープ、チェレスタが加わるが、さらに、女性たちのヒソヒソ、ボソボソとささやく声が付けられている。「その穴に落ちて…」と聞こえる部分もあるがほとんど何を言っているか聞き取れない。これは、「混声合唱のための『風の死者』~前登志夫の短歌による~」でも使われている手法である。同じく菅野が音楽を担当したアニメーション映画「グスコーブドリの伝記」のサントラ盤の解説によると、監督の中村隆太郎は作曲家の選定にあたってこの「風の使者」を音響監督の斯波重治から紹介され、とても気に入ってしまったということである。

音楽は次第に音量を増し、ffに達する。が、メインテーマの変形が静かに女声合唱で付け足され、次の曲を暗示させるかのようにはっきりした終止部がなく終わる。

3.機械仕掛けの太陽

天空から巨大な眼球を思わせる人工太陽が海へ降下してくるシーンの音楽。アップになると人工太陽の表面には無数のブロンズ製の聖人像や蒸気の排気筒が林立していることがわかる。壮大な音楽であるにも係わらず、ここでも弦楽器が通常奏法(アルコ)で奏されることはなく、それが全体に優美さを漂わせている。

4.天使のたまごメインテーマ

ビデオ本編ではオープニングのタイトルバックで使われる音楽で、宗教的な雰囲気を湛えた合唱曲である。ただし、「メインテーマ」とは言っても主旋律が映画音楽で良くやるワグナーのライトモチーフのような使われ方で変奏・展開されて登場することはなく、むしろ、プレリュードの変形である冒頭のドミシレラミソー、ドミシレラミド#ーとピアノのソロに現れる動機と主旋律の断片が、全編の音楽の随所に素材として織り込まれ、プレリュードと共に音楽全体に有機的な統一感を持たせる上で重要な役割を果たしている。

6.窓の向こうに

この曲は前半と後半に分けることができ、前半部分は建物の中に置かれた視点から様々な窓を通して少女を見るカットの連続シーンで用いられる。このように対象のいる空間を窓枠で切り取って「外の」世界から眺めているかのように見せる手法を、押井監督は「うる星やつら ビューティフルドリーマー」でも用いている。音楽はメインテーマの断片を非常にゆっくりと間延びさせた弦楽器の平行7度の旋律の上にチェンバロによる波の断片が重ねられて始まる。仮にチェンバロ1音を8分音符、拍子を3/2拍子として説明するが、チェンバロの方は同形パターンの繰り返しの際に間に挿入される3拍分の8分休符を含めて21拍を1つの単位として繰り返すようになっているため、小節線通りに8分音符12拍分を一区切りとして進む弦楽器の旋律と繰り返し周期が一致せず、小節線を跨いで位相がずれていく。このため拍節感の曖昧な不思議な音楽となっている。ここに、さらに点描主義のようにポツリポツリとハープ、チェレスタ、グロッケン・シュピールが散発的に加えられる。 後半は廃墟で少女が瓶を漁っているシーンで使われているが、前半と打って変わって、チェロとコントラバスによるピツィカートのリズムに乗ってメインテーマの変奏がヴァイオリンで奏される3/4拍子のワルツ風の曲となる。アルバム中最もロマン派風の香りがする部分である。

7.水底の街

少年と出会った少女が二人で連れ立って歩いていく、効果音もセリフもないシーンに付けられた音楽。メインテーマ冒頭のピアノの動機(とは言っても本来はプレリュードの変形である)に続いて「プレリュード」がほぼ原型のままゆっくりと間延びさせられて登場するが、旋律はピアノのままで内声の和音とベース進行が弦楽器に置き換えられている。プレリュード前半のAの終りあたりで二人が大きな建物の鉄格子の前に差し掛かると、プレリュードになかったヴォカリーズによる混成合唱が加わり、少女が少年をからかうように小走りになって速度を上げるとこの合唱もこれに追従するように高潮していく。街灯に照らされた鉄格子の影が二人の体の上を流れていく幻想的なシーンで、ほとんど音楽のためだけに作られたのではないかという気さえする。この一方で、ピアノの方はこの合唱の盛り上がりには全く無頓着に、ダイナミクスの変化もないまま淡々とプレリュードの音形を刻み続ける。これが別の音楽を同時に効果音的に鳴らしているような独特の効果を生む。このような手法は随所に登場するがこの曲が最も印象に残る使い方である。最後は、鉄格子の前を走り抜けていく少女の後方にまるで水藻のように靡く白い髪の毛を、後方からアップで捉えた映像と共にデクレシェンドしながら消えていく。

8.魚狩り

「魚が出たのよ」「魚?」何かを追いかけて銛を持つ漁師達が街角を駆け抜けて行くのを見て少女と少年が語るシーンで、ハープ、ビブラフォン、チェレスタによる分散和音的なリズムパターンで始まった序奏は次第に加速し、合唱や弦楽器を加えながら緊張感を盛り上げていく。やがて漁師達が街の石壁に出現したシーラカンスのような形の巨大な魚の影に向かって次々と銛を打ち始める辺りで緊張感は最高潮に達し、打楽器、弦楽器、および楽器的な奏法で扱われる歌詞のない合唱による全アルバム中最もダイナミックでバーバリックな曲に雪崩れ込む。男声合唱と弦楽器を中心とする荒々しい変拍子の主旋律に相の手のように絡むリズム動機はプレリュードのBの部分の(I)の音形で、ここでは声楽と打楽器、低音弦によって奏される。

9.オペラハウス

少女が廃墟と化したオペラハウスの破れた天井のステンドグラスから降り注ぐ茫洋とした光に照らされた雨の中に佇み天井を見上げている幻想的なシーンに付けられた音楽。ヴォカリーズによるアルバム中唯一の無伴奏合唱曲であり、教会音楽のような宗教的な響きを伴う非常に美しい音楽である。録音にも教会で録音されたような深い残響が加えられている。

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