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カンタータ「ストーム・クラウド(時化)」~ 知りすぎていた男 (Cantata "The Storm Clouds")

Arthur Benjamin

アーサー・ベンジャミン

1)VICP 8099(「タクシー・ドライバー~バーナード・ハーマン作品集 」) / ビクター エンタテイメント(株)

指揮:エルマー・バーンスタイン / ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団
メゾ・ソプラノ:クレア・ヘンリー
合唱指揮:ジョン・マッカーシー/アンブロジア・シンガーズ

2)WPCR-15041/2 (「ヒッチコックの映画音楽」)/ (株)ワーナーミュージック・ジャパン

( 1)と同音源)

3)UJLD-22337(映画「知りすぎていた男」DVD) / ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン(株)

指揮:バーナード・ハーマン / ロンドン交響楽団
メゾ・ソプラノ:バーバラ・ハウィット
コヴェントガーデン合唱団

4)CHAN 10713(「ベンジャミン&ルーカス映画音楽集」) / CHANDOS

指揮:ラモン・ガンバ / BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団
メゾ・ソプラノ:アビゲイル・サラ
オルガン:ロブ・コート
コル・カエルディーズ(ウェールズ合唱団)(Cor Caerdydd)

5)雑誌29432-8/8(「淀川長治 映画の世界 名作DVDコレクション」 VOL.3 映画「暗殺者の家」DVD) / (株)東京ニュース通信社

指揮:H. ウィン・リーヴス / ロンドン交響楽団、合唱団

嵐の到来を告げるかの様な冒頭のファンファーレ、そしてしばらく序奏部が続いた後、「恐怖が忍び寄る、そよ風に乗って。暗き森が体を震わせる...」と英語によるメゾ・ソプラノの独唱が始まる(作詞:D.B.ウィンダム・ルウィス)、このスリリングな展開のカンタータを作曲したのは、シドニー(オーストラリア)生まれの英国の作曲家アーサー・ベンジャミンである。わが国で多少なりとも知られている作品というと、「ジャマイカン・ルンバ」という小品くらいだろう。一般には通俗性を持った作品で知られ、ライト・クラシックの作曲家に分類されることが多いが、実際には交響曲第1番のようなシリアスな作品も作曲している。

かつて「音楽現代」だったか、ベンジャミンの交響曲第1番のレビューを書かれていた評論家の方が、このカンタータのCDを探したが見つからず、代わりに「交響曲第1番」を見つけることができた、というようなことを書かれていたと記憶している。見つからないのもそのはず、ここに挙げた唯一の録音(※1)は、「タクシー・ドライバー~バーナードハーマン映画音楽集」(輸入版原題:Bernard Herrmann Film Scores)という別の作曲家の作品集に収められてしまっているのだから。雑誌社に手紙を出して教えて差し上げようか、と気になりつつも、ついに実行しないまま何年もの月日が流れてしまっている。

なぜこのように他人の作品集に収録されることになったのか、映画音楽に詳しい方ならお察しのこととと思うが、ご存じない方のためにちょっと横道には逸れるがこのバーナード・ハーマンという作曲家とこの曲との関係を語っておこう。そもそもこのカンタータは、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「暗殺者の家」(1935)およびそのセルフ・リメイクである「知りすぎていた男」(1956)の両方に、物語のキーを握る重要な劇中音楽として登場することで知られている(※2)。名映画監督には、しばしば名コンビといわれる映画音楽作曲家が存在するが、 -例えば、黒澤明には佐藤勝や早坂文雄、宮崎駿には久石譲、押井守には川井憲次、フランソワ・トリュフォーにはジョリュジュ・ドルリュー、スティーブン・スピルバーグにはジョン・ウィリアムズといったように-、 アルフレッド・ヒッチコックとのコンビで有名なのがこのバーナード・ハーマンというわけである。実際、「めまい」(1958)、「北北西に進路を取れ」(1959)、「サイコ」(1960)といった黄金期のヒッチコック作品の多くをハーマンが手掛け、その音楽も映画音楽の不朽の名作として知られている。一方、「知りすぎていた男」はこのコンビによる初期の作品ではあるが、主役のドリス・デイが唄うあまりに有名な劇中歌「ケ・セラ・セラ」とこのベンジャミンのカンタータに比べるとハーマンの曲は影が薄く、左記の作品群のような知名度に至っていない。しかしながら、やはりヒッチコック作品の音楽となるとハーマンの存在感と知名度が大きく、また音楽監督としてこのカンタータの選曲と編曲・指揮も手掛けているから、ハーマンの業績として紹介されてもことさら不自然なことではないのである(※3)。

さて、映画の物語は、休暇でモロッコを訪れた主人公一家が、国際暗殺組織の要人暗殺計画に巻き込まれていくというサスペンス・ドラマであるが、この計画というのが、ロイヤル・アルバート・ホールで行われるこの曲のコンサートを訪問予定の首相を、ラストのシンバルの一撃に銃声を紛らせこっそり射殺しようというものである。映画後半における有名なコンサートホールのシーンでは、登場人物の台詞はなく、オーケストラの演奏シーンと、一発のシンバルを客席で耽々と待つ暗殺者、暗殺組織に誘拐された我が子救出のためにやって来た主人公夫婦、そして打楽器奏者の横で出番を待つシンバル、といったカットが交互に挿入され、カンタータに乗って物語が進んで行く。果たして暗殺は成功してしまうのか?、誘拐された我が子は無事救出できるのか?、いよいよ立ち上がってシンバルを構える打楽器奏者!、そして終結部のシンバルの一撃へ向け、音楽はますます加速する!!、という手に汗握るクライマックスになっており、音楽が非常にドラマチックに盛り上げている。

その絶大な効果が素晴らしかったのであろう、リメイクの際に旧作のベンジャミンから作曲をバトンタッチしたハーマンもこのシーンの音楽を自作に差し替えることはせず、このカンタータを再び採用している(ただし、ハープとパイプ・オルガンのパートを追加)。ハーマン自身によれば、「ベンジャミン以上のことは誰にもできないだろうと思った」という。なお、ヒッチコックの映画で有名なのが監督本人のカメオ出演であるが、このカンタータの演奏シーンではハーマンが自らロンドン交響楽団を指揮して出演しているので、映画の方も是非ご覧いただきたい。CDの方に収録されているのは、ハーマン自身によるサウンドトラックではなく、同編曲バージョンによる新録音であるが、こちらはそれだけに良い録音で聴けるし演奏も優れているので楽しめる。

因みに、邦画「踊る大捜査線」シリーズのスピンオフ作品「交渉人 真下正義」にも良く似たシチュエーションのオーケストラ演奏シーンが登場する。ここでは、ラヴェルの「ボレロ」終結部のシンバル音に反応して起爆する爆弾が仕掛けられるという設定になっているのだが、実はこのシリーズには、「羊たちの沈黙」や「パトレイバー2」など、どっかの映画で見たようなプロットやイメージが良く登場するので、これも間違いなく「知りすぎていた男」にインスパイアされたものだろう。

※1)1)のことを指すが、最初にこの記事を書いた後、2012年になってCHANDOSから新たな録音のCDが発売された。今度は正真正銘、ベンジャミン本人の名前を冠したアルバムである( 4)に挙げた「ベンジャミン&ルーカス映画音楽集」)。ただ、演奏はというと、金管楽器のファンファーレ風の部分はつんのめって聴こえるし、声楽もか細い感じがする。バーンスタインによる演奏の、嵐の前兆の空気感まで薫ってくるスリルと、問題のシンバルの音圧感等に比べるとちょっと物足りない。とはいえ、聴ける機会の少ない作曲家の作品集が出たこと自体は喜ばしいことではある。

※2)「暗殺者の家」では、カンタータはオープニングの字幕から使われるが、「知りすぎていた男」に比べると、コンサートのシーンはあっさりしていてそれほどインパクトはなく、また、その後のエンディングへ向けての話の展開も冗長に感じる。カンタータを目的に映画を観るなら「知りすぎていた男」の方がお薦めできるし、映画自体もあえてリメイクしただけあって、クライマックスへ向けて畳みかけるように盛り上げていく手腕もずっと巧みに感じる。なお、補足ながらテキストを作詞したD.B.ウィンダム・ルウィスは、「暗殺者の家」の原作者の1人である。

※3)このことはしばしば混乱の元となる。実際、2013年に発売された2)の日本語のライナーに至っては、作曲者名に「バーナード・ハーマン」と表記されてしまっている。

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