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祝典序曲

Ichiro Higo

肥後 一郎

プライベート盤 LP

指揮:大友直人/早稲田大学交響楽団

アメリカの作曲家チャールズ・アイヴズは、生きている間には自分の音楽は世に認められないだろうとのことから、生計は保険会社勤務を本職として立てながら自らの理想の音楽を追求した。ここに挙げた肥後一郎も、本職は保険会社のサラリーマンであり、アカデミズムとは少し違った音楽経歴を持った作曲家である。早稲田高等学院在学中から邦楽の藤井凡大に作曲を師事。早稲田大学政経学部在学中には早稲田大学交響楽団でコントラバス奏者を務め、1969年に日本音楽コンクールに入賞、その後松村禎三に作曲を師事している。また、野坂恵子に箏も師事。こうした経歴のせいか、邦楽器を使った作品が多く、純粋に西洋楽器のみの編成による管弦楽作品は意外と少ないように思う。代表的な所では、かつてLP化もされていた「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲」や、第10回民音現代作曲音楽祭の委嘱作品でありカメラータからCD化された「交響曲」が挙げられるが、それらにおいても師(松村禎三)譲りのアジア的な粘着質の作風が特徴で、邦楽器を使用してはいないものの、やはり邦楽的な感性が色濃く感じられる。

この祝典序曲もそうした数少ない西洋楽器のみによる管弦楽作品の1つである。母校早稲田大学の創立100周年記念に同校の委嘱で作曲され、'82年10月21日に早大記念会堂で行われた記念式典において早稲田大学交響楽団によって初演された。ここに挙げた録音は、その時に製作されたLPレコードであるが、筆者はかつてお茶の水の中古レコード屋に売りに出されているところをたまたま入手した。曲の作風については、2年後に作曲された前述の交響曲が、この曲の構成の延長線上で発展させたものとも捉えられる、と言えばある程度想像できるだろうか。ただし、交響曲の第2楽章(後に「伝説への序章」として独立)から第3楽章の前半に見られるような雅楽的な響きはここでは聴かれず、そういう意味では肥後作品の中でも最も西洋的なクラシック音楽の響きがする作品と言えるだろう。これは記念式典用音楽という趣旨を踏まえての結果であるのかも知れない。

冒頭は、厳かに日が昇り始める暁の地平を表すかの如くの静かな低音弦で始まり、ファンファーレ的な金管楽器群と共に次第に日が昇り薄明が射して行くかのように弦楽器群がゆったりと雄大な旋律を奏でていく。若者の輝かしい未来を象徴するかのような真に記念式典にふさわしい曲といえよう。曲の後半は金管楽器のグリッサンドの多用が特徴的で、このような展開は交響曲の第3楽章にも通じるものである。また、どちらの曲も最後は現代音楽としては珍しく協和的な和音の爆発でスカッと壮大に閉じられるのだが、このようなところに前衛的な手法に対して批判的な立場を取る作曲者の主張が感じられて面白い。残念なことに、その後この曲は当の早稲田大学交響楽団自身によってもほとんど(1度も?)演奏されていないようで、同じ目的で委嘱された武満徹の「スターアイル」(星・島)(※)の方ばかりなぜか演奏されているようなのである。「スターアイル」は、WASEDAの名から採ったAs・E・D・Aという音階をモチーフとした、武満らしい茫洋とした響きの宇宙の広がりを思わせる幻想的な作品であり、プロの一流オーケストラによってもしばしば演奏されているのであるが、いわゆる現代音楽であることには違いない。多くの一般人が参加する祝祭的な式典用の音楽という目的を考えれば、誰もが親しみ易い肥後作品の方がふさわしいとしか思えないのである。もし芸術的な視点での評価で武満作品ばかり演奏されているのだとしたら、それはある意味「無粋」な行為とも言え、この「祝典序曲」がこのまま埋もれてしまうとしたら真に残念なことである。カメラータあたりが肥後一郎の作品集でも作ってその中に収録してくれないものだろうか。

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