ラジオ・オペラ「記憶交換」

Shigeaki Saegusa

三枝 成章(三枝 成彰)

市販メディアなし(1985.11.9 NHK-FMにて放送、再放送:1986.9.6)

指揮:大友直人
出演:加藤健一(記憶喪失の男)、朝比奈尚行(医者)、山下晴代(少女)、銀粉蝶(夫を捜す女)、
         ボニー・ジャックス(死神)、ティナ・グレース(看護婦)

もしも忌まわしい過去の記憶を捨て去り、美しい想い出と交換できたら...。湯本香樹実の脚本によるこのNHKのラジオ放送用オペラは、作曲者が「成章」と名乗っていた時代の快作である。再放送を含め、たった2回の放送で埋もれさせるのはあまりにも惜しい。

オペラと言っても、オーケストラ編成は、小編成の弦楽アンサンブルに数本の木管楽器、ピアノ、シンセサイザー、ドラムス、エレキベースなどを加えたもので、聴いた感じはさながらプログレかミュージカルのようである。名作「ラジエーション・ミサ」やTVアニメ「機動戦士Zガンダム」のサントラを聴いたことがある人ならば、類似の作風と思っていただければ良い。そして歌には俗に”三枝節”とも呼ばれる独特の抒情的な旋律が溢れている。これらに、台詞や背景音等のSE(効果音)も加わって、いわば歌付きのラジオ・ドラマともいうべき作品として完結しており、視覚的要素が無くても物語を容易に追っていくことができるようになっている。

ある日、1人の記憶喪失の中年男が「記憶のクリニック」という名の病院を訪れる。自分が誰だかわからないことに疲れ果てた男は、例え作りものでも想い出が欲しいと懇願し、医者に新しい記憶の注射をしてもらう。病院の戸棚に並ぶ1万1千種の記憶、それが死神によって死人から奪われたものだとも知らずに...。実は、この男は元はこの病院の医者であった。自分自身という牢獄から抜け出したかった医者は、3年前にこの病院を訪れた記憶喪失の男にお互いの記憶を交換しようと持ちかけ、入れ替わったのだ。だが、記憶喪失の男となって放浪の旅に出た医者は、自分がかつてこの病院の院長であったことも忘れ、戻って来てしまったのだ。

取り替えたのが過去の日々なのか、それともこの体なのか?アリア「私にはわからない」(曲名は便宜上筆者が勝手に付けたもの。以下、同様)で男が問いかける、人のアイデンティティの根源とは。我々が所詮脳の電気信号を通じてしか外界を認識できないのなら、真の体験と脳が作りだした架空の体験とに何の違いがあろう?現実と虚構の境界に対する確信の揺らぎ、過去の自分と新しい自分との狭間に現れる謎の少女など、まるで映画監督押井守が描き続ける一連の作品世界を見るようだ。実際、この人にぜひ映像化してもらいたいと思う。だが、この作品はハードSF的なアプローチに踏み込んだりはしない。作品の世界観については、FM東京のラジオ番組(※)で作曲者本人が語った「大人のメルヘン」という一言によって言い尽くされているだろう。

この作品は、その後「千の記憶の物語」として、舞台用の本格的なオペラに改作される。これはその後の三枝成彰が作曲活動の中心軸をオペラに移していくターニングポイントにもなった作品でもある。改作によって、配役が役者中心であったラジオ版の歌唱力に対する不満は払しょくされ、また、シュールレアリスティックな舞台装置による視覚的演出など、ラジオ版にはない魅力も加わった。しかし、筆者はそれでもラジオ版に軍配を上げてしまう。

ラジオ版での地声に近い発声が、むしろ登場人物それぞれの個性的キャラクターを際立たせていて、歌唱力に難ありといえど捨て難い魅力がある。また、登場人物の感情の起伏やドラマの「間」を簡潔かつ的確に表現した音楽が、1時間ちょっとという尺の短さ故に濃密に凝縮されたドラマを、最後まで中だるみさせることなく牽引し飽きさせない。記憶の注射によって男の脳裏に浮かんでくる、自宅への道筋。中流家庭のサラリーマン、あるいは公務員なのだろうか?ドラマの時代設定は、放送初演の1985年当時から見ても10年以上は前であろう。物語の舞台が抽象的に表現されていた舞台版に比べると、インターネットなどまだ普及してもいなかった頃の昭和の生活感が、聴く者の同時代体験を通じて視覚情報のないドラマのイメージ化を助け、現代のメルヘンの世界観にノスタルジックな情感をも添えているのだ。

音楽に聴き所は多いが、お気に入りは何といっても物語序盤の「記憶交換」(医者と看護婦の2重唱)。「よろしい、わかりました。それでは早速記憶の交換に取りかかりましょう!」とファンファーレの如く高らかに宣言する医者の台詞に続いて始まるエレキベースやドラム、ピアノなどによるリズムパートは、一聴してまさしく三枝音楽。アリア「私は一体誰なのか」で記憶を失くした男が悶々と心情を歌った後の「出たっ!」という感覚が心地良いカタルシスを生む。「大統領の記憶、映画スターの記憶、野球選手の記憶、記憶、記憶、記憶、記憶、裁判官の記憶...」と、看護婦が病院の戸棚に並ぶ記憶のラインナップを列挙しまくるリズミカルな歌に乗せて、医者が「今、あなたの記憶をこのクリニックで下取りさせていただきます。...」と朗々と歌う。歌の間合いに時折挿入される、弦楽器による独特な音色のフィル・インは、まさにこの作曲家の真骨頂だ。この他、謎の少女が呼びだした死神の四重唱など、代わる代わる男をからかう様に翻弄する台詞が、ボニ-・ジャックスの4色の声音と相まって耳にこびり付き、気が付くとつい一緒に口ずさんでしまっていたりするのだ。

いやはやこの音楽、クセになりますぞ。

(※)「三枝成章 vs. 3S」~ 出光ミュージックタイム 「私と音楽の世界」(パーソナリティ:田中みどり)

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